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聖ヤコボ使徒殉教者  St. Jacobus Ap.          祝日 7月 25日


 聖主イエズス・キリストが世を贖う犠牲として御死去になるおよそ三ヶ月前のことであった。主はまたも御受難の迫ったことを使徒達に告げられたが、使徒達はそれが三度目の御諭しであったにも拘わらず、自分等の根強い世間的な考えから容易に主の御言葉の真意が汲み取れず「主がローマを相手にユダヤ民族解放のために正義の軍を起こし給う時は近づいた。その聖戦中、主は不幸戦死せらるけれど、やがてよみがえり光輝ある大勝利を得て全世界を統一、神の御国を建て永久にこれを治め給う。その時主の御話がすむと早速、ヤコボ、ヨハネ両使徒の母サロメは二人を連れて御前に進み、「どうぞ私のこの二人の子を、御国に於いて一人は主の右に、一人は左に座れる身分にお取り立て下さいまし」とお願いした。とお願いした。これはその子供達が他日主の天下を取り給うた時、これを補弼する摂政関白の如き重職を兄弟だけで独占したいと思ったものの、さすがに自分等の口には言い出しかね、母を介して御依頼したのであった。
 イエズスは彼等の救い難い誤解を嘆ぜられたのに相違ない、「汝たちは願う所を知らぬ。汝たちは確かに世の飲もうとする盃を飲むことが出来るか?」とお尋ねになった。盃を飲むとは苦痛を受ける意味である。二人はそれを主が兵を挙げ給うの日、嘗めねばならぬ戦いの艱難と思い、「はい、出来ます」と勇ましく答えた。イエズスはそういう二人を悲しげに暫くじっと眺めて居られた。それから気を変えたように物柔らかな調子で、「なるほど汝たちには余の父からそれを受くべき価値ある人々に与えられるのである」と言い聞かされた。
 ヤコボとヨハネの兄弟が、イエズスの最初の弟子になったのは、もう3年前のことであった。彼等の父はガレリアの貧しい漁師で名をゼベデオと呼び、母は前述のサロメで主の御母聖マリアには親戚に当たり、信心深い婦人であった。この両親が働き盛りの我が子を二人まで主の弟子として差し出すについては、もとよりナザレトのイエズスを自分でも待望の救い主と信じたからに相違ない。
 聖主はヤコボ兄弟を、その純潔な品性の故に深く愛し給い、これと聖ペトロの三人を使徒達の中でも最も信任重用された。この事は、ヤイロの娘を蘇生せしめられた時にも、タボル山上の御変容の時にも、ゲッセマニの園に血の汗を流された時にも、右の三人だけはお召しつれになった所からも明らかにそれとうかがわれよう。
 とはいえ、それほど主の御愛顧を蒙ったヤコボやヨハネも、始めから完全無欠な人間であった訳では決してない。例えばサマリアのある町で主が一夜の宿を願ってにべもなく拒絶され給うた時、生来短気の傾きあるヤコボ兄弟は一方ならず憤慨し「主よ、命じて天より火を降らし、彼等を焼き殺されては如何でございます」と申し出て、「汝たちは自分でどんな精神をもっているか解らぬのである。人の子の来たのは、魂を滅ぼす為ではなく救う為ではなかったか」と厳しいお叱りを受けた話などもある。またいよいよ主の御苦難が始まるや、ヨハネはカルワリオの丘まで、十字架の道を歩み給う主のお供をしたが、ヤコボはふがいもなく他の使徒達と同様何処へか逃げ隠れてしまった。そこにヤコボが剛気の徳に欠ける所があったのを看過するわけにはゆかないのである。
 しかし先に主が仰せられた「汝等実に我が盃を飲まん」との聖言は、やがてヤコボの身にも事実となって現れた。もっともその盃は彼等が考えていた地上の大王国建設の為のそれではなく、霊的な神の御国の拡張即ち信仰宣布の為の苦難の盃であった。
 聖霊降臨後使徒達の生まれ変わったような積極的布教活動により、洗礼を受けて救霊の群れに加わる者は日に日に激増した。これを見た教敵のファリザイ人や律法学士等は大いに狼狽し、使徒達を一度獄に投じて天使に救い出され、二度捕らえて鞭打ちの刑に処した。けれどもかような受難はキリストの御弟子達にとって、ほんの小手調べの試練に過ぎなかった。主が昇天し給うてから六、七年を経て、ヘロデ・アグリッパ王は始めてエルサレムの教会に本格的な弾圧を加え、多数の信徒を捕縛投獄したが、牧者ヤコボももちろん愛する子羊と運命を共にした。そしてこの度こそ主の御言葉通り、その盃を飲まねばならぬ運命に立ち至ったのである。
 使徒ヤコボの篤信と救霊に対する情熱とを恐れたファリザイ人等は、彼を死刑に処すべしとヘロデ王に迫った。王は主を十字架に磔けたピラトの如く、その不正な要求を容れてついにヤコボ死刑の宣告を下した。かくて彼が刃で首を刎ねられ、壮烈な殉教の死を遂げたのは、西暦44年の過ぎ越しの祭りの前日であった。その日も同じ金曜日、聖教の為生命を献げた彼はまさしく主の御苦しみの盃を分かち飲み干したものと言い得ぬであろうか!そしてその報酬としては、かつて主に願ったこの世の王国の大臣の座席より更に大なる、永遠の天国で不朽の光栄に照り映える聖者の座席を獲得したのである。
 聖ヤコボの遺骸は始めエルサレムに葬られていたが、後スペインのコンポステラに移され、アルフォンゾ王によってその墓の上に建てられた壮麗な大聖堂は、今日に至るまで有名な巡礼地となっている。
 なお、人も知る如く使徒達の中にもヤコボと呼ばれる方がもう一人ある。それは主の従弟に当たり、5月1日に祝われるヤコボである。故に区別のため世に右を小ヤコボと称し、ゼベデオの子、ヨハネの兄、本日記念するヤコボを大ヤコボという事になっている。何故これを大とするかと言えば、主の最初の弟子にしてまた使徒中最初の殉教者であり、かつ主の御寵愛もひとしお深かった所に基づいているのである。

教訓

 我等も聖大ヤコボの如く一朝事ある時には信仰の為生命を擲つ覚悟がなければならぬ。またそれほどでなくとも日々の生活には多かれ少なかれ同じ犠牲の精神が必要である。しかしここに忘れてならないのは、犠牲を献げるのに自力を恃んで天主の御助けを求めぬ人は決して成功せぬという事である。それは聖主御受難前と聖霊降臨後とにおける大ヤコボの例を見てもさとられよう。